ジョーカー映画感想!問題作をマイノリティが考察!ネタバレ注意

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エンタメ

この記事では映画「ジョーカー(joker)」を見た感想を書いています。

ネタバレが含まれるので、ご注意ください。

いわくつきの映画【ジョーカー】

公開と同時に世界中で絶賛の嵐を巻き起こしており、格式高いカンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭と並ぶ世界三大映画祭の一つ、ベネチア国際映画祭では金獅子賞を受賞。

しかし、その内容から賛否両論を巻き起こしているジョーカー。その理由については今作の内容もさることながら、実は公開前からいわくつきであったのだ・・・。

そもそも、ジョーカーとは映画バットマンに登場する悪役。そして、決して忘れることが許されない事件がある。クリストファー・ノーラン監督のバットマン三部作において、ラストを飾るべく、2012年に公開された映画「ダークナイトライジング」ではアメリカでの公開初日、銃乱射事件が勃発。

この時、コロラド州にあるオーロラ市内の映画館内では髪を赤く染めてジョーカーに扮した犯人が、自らをジョーカーと名乗り、観客に向けて銃を乱射。12人が死亡、70人以上が負傷した。この悲惨な事件はオーロラ銃乱射事件と呼ばれている。

その為、事件があったアメリカではジョーカーの公開前に厳戒体制が敷かれる異例の事態となった。そして、公開後には視聴者から「最悪な気分になった」という声と「最高の映画であった」という、相反する意見が多数あがっており、世界中で物議を醸している。

あらすじ

ゴッサムシティの母子家庭で生まれ育ち、貧困に苦しみながら生きてきた、のちのジョーカーこと、アーサー・フレック。幼少時代から精神病を患っていたことで、孤独に悩まされていた。

しかし、母親から笑顔を褒められていたことから、人々を楽しませることが好きだった。

コメディアンの道を志しているが、狂気に満ち溢れ、混沌とした社会が徐々に彼に牙を剥く。

次第に彼の持っていた純粋な心は失われ、深い闇に覆われていくことに。

孤独な男は嘘と偽りに満ちた世界に終わりを告げる為、悪の化身ジョーカーに変貌を遂げる。

そして、彼なりの正義を振りかざすことを決意・・・。

「真の正義とは何か」憎しみに満ちたジョーカーの復讐劇が始まる。

ジョーカーを見た感想と考察

ここからはネタバレが含まれます。

映画公開後、すぐに映画を見に行きました。なぜなら、私はバットマンが好きだから。もっといえば、ジョーカーが好きです。悪のカリスマとして、世の中の純粋悪ともいえる程、恐ろしいキャラクターでありながら、他の悪役達とは一線を画す、特別な存在。スペシャルワンとしての強烈な個性を放っています。

ジョーカーの生い立ちはこれまで謎めいており、隠されてきました。長い間、秘密のベールに包まれているにも関わらず、シンプルに「悪」と捉えることができない、カリスマ性に魅了されたファンは大勢います。

私は映画が公開されることを知った時「ようやく、謎めいた彼の生い立ちを解き明かすことができるのか」と思い興奮し、今作が非常に楽しみで仕方ありませんでした。そんな、上がり過ぎてしまった私のハードルを意図も簡単に乗り越えてきたのが、問題作ジョーカーでした。

映画を見た感想ですが、まぎれもなく名作。それも、ただの名作ではなく歴史に名を残す程に傑作であると感じました。しかし、見るものを選ぶ映画であるのもまた事実。人によっては最悪の映画になり得る、そんな摩訶不思議な映画となりましたが、私の心の琴音に触れる最高の作品でした。

では、まず「どの辺りが、人を選ぶ映画であると感じたか?」ですが、まず冒頭で道化師として看板広告を手に持ち宣伝しているシーン。ここでは泥棒に看板広告を盗まれるだけではなく、酷く痛めつけられことになりました。ここで、私はこの映画に瞬く間に引き込まれていきました。

このシーンはただ、治安が悪い、やり過ぎ、可哀想とか、そんな単純なものではありません。この描写では世の中の不平等、理不尽さを演出している、そんな風に私は受け止めることができました。しかし、一般家庭で生まれ育ったマジョリティ(多数派)であれば、こんな経験をしたことがないはず。その為、この映画を見て、感情移入できる程の没入感はなく、つまらない時間であったことのように思います。

かく言う私は、複雑な環境で生まれ育った、マイノリティ(少数派)です。その為、終始ジョーカーを自分に投影しながら映画を見ることができました。これにより、マジョリティには理解し得ない、感情が生まれたと思います。また映画の中盤に差し掛かった頃、生い立ちが暴かれていくシーンでは、母親から虐待を受けて育ったこと。生まれながらに父親には捨てられ、一切の愛情を受けられずに生まれ育ったことが判明しました。

最も悲惨であったことは唯一、信じていた母親のペニーに裏切られていたこと。ペニーは自分のことにしか、興味を持てない毒親であり、ジョーカーと同様に親もまた精神疾患を患っていたことが発覚しました。このシーンでは悲惨な生い立ちから、愛情を受けられなかったジョーカーが激昂し、ついには自らの手で・・・。如何にも単純に気分を晴らしているかのように見えますが、そんな簡単なものではないように感じます。

母親の精神状態が未熟だったことから、実の子であるにも関わらず、幼少時代には身体的虐待と精神的虐待のWパンチを浴びせられていたのです。さらに、成人を迎えた後も、親子共依存の関係を作り出していることから、親としては機能していなかったことがわかります。

しかし、これはペニーだけの問題ではなく、ペニーの母親もまた、子供に虐待を繰り返していたことが推察できるのです。その為、自分が酷いことをしている意識もないように感じました。「無自覚」であること程、酷く残酷なことはありません。だって、相手を責めることができないのですから。

この生まれながらの理不尽さに嘆き、苦しんだジョーカーは決して衝動的に自らの母親をあやめることにしたのではなく、何度も葛藤を繰り返し、苦しんでいたように見えました。

人に愛されたい願望を持ちながらも、誰にも愛されず、受け入れられず。生き辛さを抱えていたジョーカーは長い時間を共に過ごした、ペニーからまともな愛情を受けられなかったことに薄々気付いていたはず。しかし、そんな現実を直視できる訳もなく、何も望まず、自分の人生をただ、受け入れることにしたにも関わらず、実の母親にすら、受け入れられない悲惨な現実を知ったジョーカー・・・。

この信じ難い結果を突きつけられて、この上ない孤独に追いやられたジョーカーの気持ちを推し量ることなんて、誰にもできません。全ての原因は世の中の不条理が引き起こす、心の貧困。負のスパイラルにあると私は思います。人が平等ではないことから、絶対悪であったとしても同情の余地がある、そんな風に感じました。

そしてラストシーンでは、ついに精神病棟に隔離されたジョーカー。物思いにふけながら、ウェインとその妻の命が奪われたことを思い考えていました。そして、一人残された息子のブルースのことを思い、急に笑い出します。対面していたカウンセラーが「何がそんなにおかしいの?」と尋ねると一言「理解できないさ」と言い放ちます。

これには、見ていて首を傾げた人は大勢いたのではないでしょうか。私の考察では、ジョーカーはただのマイノリティではなく、誰にも理解されることがない超マイノリティ、唯一無二の存在・・・。

反対にカウンセラーはおそらく、一般人。どんなに勉強に励んだところで、無意味。当然ながら、本当の価値観を共有し合えることは一生ありません。さらに、この描写は現実社会に向けた、皮肉たっぷりの演出であり、現実社会の光と闇。さながら、本当のカウンセラーと患者といったシチュエーションのように見えました。

運よく、何不自由ない普通の環境で生まれ育ったマジョリティ。

運悪く、最悪な環境で生まれ育ったマイノリティを表現している。

そんな風に私には捉えることができました。

余談ですが、ウェインの息子である、ブルースはのちのバットマン。つまり映画ジョーカーではバットマンとジョーカーの人生がお互いに交差していることが判明。また、それだけではなく、二人の生い立ちを知ることができました。バットマンが持つ、強過ぎる正義感の正体は幼少時代に背負った深い傷があったからこそ。

彼もまたマイノリティの一人であると私は考えています。トッド・フィリップス監督が映画全体を通して伝えたかった本当の真理について、推し量ることはできませんが、私には「正義と悪は紙一重である」そう訴えかけているように感じ取れた作品でした。

ブルースがバットマンだったと知らなかった人は幸せです。前作のダークナイトライジングを見ることで、別の視点から映画を楽しむことができます。ぜひ、見てみてはいかがでしょうか↓


まとめ

今回、これまでの記事とは違ったテイストで映画を見た感想を率直に語りました。個人的に、この映画に思い入れが出ことから、自分の気持ちを込めて記事を書いてみたいと思い、映画を見た直後の新鮮な状態で、濁りのない感情を書き綴ってみました。

ここまでお付き合いありがとうございました。

映画だけでは知ることができない、ジョーカー大活躍のゲーム情報はこちらの記事から↓

【ゴッサムシティ体感!ジョーカーvsバットマンPS4おすすめゲーム】

以上

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