虐待する親の性格的特徴〜理解しがたい複雑な心理状態を解明する〜

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メンタル

今回は、児童虐待する親の心理について迫りたいと思います。心理状態を解明することで、彼等が持つ悲しくもあり、恐ろしい特徴を紹介していきます。

子供を虐待、ネグレクトする毒親の心理状態はとても複雑であり、一般人では到底理解することができないでしょう。

普通であれば、我が子は何ものにも代えがたい存在であり、愛情を注ぎたくなる愛おしい存在です。

しかし、彼等は子供を平気で傷付けることができる、冷酷さを隠し持っています。人間の皮を被った「怪物」のようにも見えますが、その心理状態は極めて複雑怪奇なものです。

児童虐待を発見するのはとても難しいですが、それ以前に親自体が無自覚で虐待しているケースも目立ちます。

たとえ父親と母親が虐待する気が無くても現実には、子供が深い傷を受けて、トラウマを背負うケースが後を絶たないのです。

最大の原因は虐待家系であること

子供を虐待する親の家系を辿っていくと、その親もまた同じように虐待を繰り返していたというのが、実は一般的なケースです。

子供時代に、虐待された事実が明るみにならなかっただけで、誰にも知られず、気付かないうちに虐待を受けて育った大人は大勢います。

彼等は生まれ育った境遇のせいから、生きづらい人生を送っており、親になってからも世の中の「当たり前」というものを理解することができません。

彼等にとっては自分が受けた教育を、そっくりそのまま、子供に施しているだけなのですから、悪意は無いに等しいです。自分が親から受けた教育自体に、大きな間違いがあったという考えを持つのは非常に難しいです。

その為、自然と気付かないうちに負のスパイラルを繰り返してしまうのです。

本来、家庭内教育とは代々受け継がれていくものであり、良い部分のみが洗練されて子供達に受け継がれていくものです。

しかしながらその反面、誤った家庭内教育が施された虐待家系」であれば、負の遺産は脈々と子供達に受け継がれてしまうのが現実。

から受けた家庭内教育が間違っていた場合、子供時代に洗脳を受けて育ったのと同じ。子供を虐待している親には自覚症状が無いことから、ある意味、毒親は悲しき「モンスター」であるのかもしれません。

子供を虐待する親の特徴

心が鈍感である

子供を虐待している親は、鈍感で人の気持ちや痛みを理解することができません。それは、たとえ我が子であっても同じなのです。

子供時代に親から虐待を受ければ、想像を絶する苦悩が訪れます。

しかし、日常的に虐待を受け続けていればどうでしょうか?

痛みはいつの日か感じ難くなり、辛い経験やトラウマを表面的には乗り越えることができます。ただし鈍感になることは、逞しく成長している訳ではありません。虐待を受け続けたことで心が弱っているだけです。

脆く壊れやすい、子供心を痛めつけることが教育では無いのです。

人の気持ちがわからない

彼等は生まれ育った環境に原因があること。現在、大きなストレスを抱えていること。

現在、貧困であることが原因で人生に一切の余裕がありません。これにより自己中心的であり、他者への配慮ができない状態となっているのです。

その為、我が子に対して罵声を浴びせたり、暴力を振るった結果、将来的にどんなことが起こるのかを予測できないのです。

自分に甘く、浅はかな考えを持ったことで、自身が引き起こした行動に責任を持てず、子供の人格形成にも多大な影響が出ることを、全く想像できないのです。

虐待こそが美徳だと考えている

子供を虐待している人の中には、虐待が躾であると考える人がいます。

彼等にとっては程度の差はあれど、虐待は躾の範疇であると捉えているのです。

子供時代に虐待を受けて育った大人が、繰り返し虐待を働くケースはそう珍しくありません。

そういった人間が子供を持つこで、親になった場合、未熟な自分自身を正当化する為、無意識に虐待を行う傾向が高いのです。

子供時代に受けた虐待は、一生癒えることが無い傷として残り続けます。決して虐待を正当化することは不可能であり、大きな過ちなのです。

悲しき人間の本能

人は自分より立場の低い人間がいることで、安心感を得ようとする生き物です。大前提として、人間は一人で生きることができない為、他人と共存しているのです。

しかし人同士はいつだって、優劣を付けたがるものです。

元々、社会的に立場の弱い人間であれば、自分よりも立場の低い人を探して、なんとか安心感を得ようとする傾向があります。

状況に応じてこの原理が働き、弱いものいじめが起こり得るのですが、虐待とは家庭内で立場の弱い子供を攻撃する行為。

日頃、ぶつけることができないやり場の無い怒りや、ストレスが引き金となり自分自身の優位性を示す為だけに我が子を虐待しているのです。

自分は被害者であり、悲劇のヒロインだと思っている

彼等にとっては、自分のミスを認めることは容易ではありません。無責任であり、自分で責任を背負うことを躊躇うのです。

いつでも自分が一番の被害者であり、誰よりも可哀想なのは自分自身であると捉えています。

その為、家庭内くらいは自分の好きなように振る舞いたいと考えることから、時には手が付けられない程、暴れ回り、ヒステリーを巻き起こすのです。

彼等の目には自分自身が物語の主人公としては映っておらず、可哀想な悲劇のヒロインとして見えています。

これにより、たとえ子供達が親のせいで、大きなツケの代償を支払わされる理不尽な状態に陥っても、自分は悪くない・・・。これは仕方ないことであると言い聞かせて、自分本意に考えることができるのです。

それは元々の低過ぎる自尊心から自分自身を守る為、本能的に自己防衛が働いているのかもしれません。

しかし、一番可哀想なのは、自分自身ではありません。何の罪も無い子供こそが、最大の被害者であることを忘れてはいけません。

まとめ

児童虐待においては、本人達が持つ家庭内のルーツと切っても切れない関係があります。

そもそも児童虐待とは歪んだ愛情表現なのです。とはいえ当然ですが、決して許されるものではなく、きちんと裁かれるべき、犯罪行為。

しかし、決して無くなることがない家庭問題の一つであり、目を背けてはならない現実世界の大きな闇になります。虐待を受けて育った大人は、人生において想像を絶する苦悩が待っており、波乱万丈です。

子供を虐待する親達にとって、虐待行為の根本原因は自らの家系にあるのかもしれません。たとえ悪意が無くとも、彼等の身体に流れている「虐待家系の血筋」が自らの子供に対して、図らずとも児童虐待を引き起こしているように感じられます。

全ての人々が人間らしい生き方を取り戻す為には、誰もが「虐待家系の系譜」から、まず一歩抜け出す必要があります。取り返しのつかない過ちを犯す前に、どうにか自分の代で、全ての闇を断ち切りましょう!

多くの人々がこの負のスパイラルから、逸早く抜け出せるように、自分達の犯した大きな過ちに気付くことを切に願います。

以上

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